つむぐ、Colorbath #06 多様性を知るということ ‐椎木睦美の原点にせまる‐

こんにちは、ライターの十文字 樹(じゅうもんじ たつき)です。

「Colorbathっていったい何をしている団体なのか?」
「何のために活動しているのか?」

そんな、私自身の疑問から始まったインタビュー企画「つむぐ、Colorbath」。

前回は吉川さんのこれまでの人生からColorbathの形成までお聞きしました。 今回は、もう一人のコアメンバーである椎木さんが、どのような人生を送ってきたのかについて対談形式でお届けします。

世界を知った学生時代

十文字:椎木さんはいつから国際協力に興味を持ち始めたのでしょうか?

椎木:最初に海外や外国のことに興味を持ったきっかけは、小学4年生の時です。山口県の地元の近くに米軍基地があり、そこで開催されていたイベントに参加したことから始まりました。

十文字:なるほど、早い時期から興味をもつきっかけがあったのですね。

椎木:そこではみんなが英語でやりとりをしていて、日本語以外の言語を話す姿がとても衝撃的でした。私も「話してみたい、話せるようになりたい!」と思いましたね。そこから英会話教室に通いました。

十文字:海外に初めて行かれたのはいつですか?

椎木:中学一年生の時にカナダへ2週間のホームステイ留学に行きました。市の教育委員会が主催となって、市内の中学生30名ぐらいが参加するプログラムに応募したのがきっかけです。英会話教室にはその時も通い続けていたので、学んだ英語を外国で実際に使ってみたい、という気持ちが強かったのだと思います。

十文字:その後、国際協力に興味を持つようになったのでしょうか。

椎木:国際協力に興味を持ったのは、高校2年生の時でした。たまたまニュースの特集で、紛争解決などに取り組まれている瀬谷ルミ子さんの姿を見て、危険な地域で活躍する日本人女性の姿が衝撃的で、憧れるようになりました。

十文字:ルワンダやシエラレオネで活動されていた方ですね。「世界が尊敬する日本人25人」にも選出されていましたね。

椎木:そうなんです。なので大学は、国際教養全般や外国語を学べる大学へ入学しました。第一志望の学校に入学はできなかったのですが、だからこそ、自分の道は自分で開拓するんだ!と躍起になって、入学当初から夢を実現させるために必死でしたね(笑)

十文字:なるほど、むしろ火がついたのですね。どんな道が拓けていったのでしょう?

椎木:そこで出会ったのが、情報の授業(一般教養科目)を担当してくださっていた女性の先生で、青年海外協力隊(以下、協力隊)のOGでした。その先生に、「途上国と呼ばれる国に実際に行ってみることが大切だよ」という助言をいただき、大学一年生の夏休みにフィールドトリップとしてフィリピンに行くことになりました。こういう経験から協力隊が身近になっていきましたね。

十文字:フィリピンでの経験は帰国後にも影響しましたか?

椎木:当時のフィリピンの課題を現地で直面した時に、国の発展には教育がカギだと思うようになり、まずは自分の国の教育についての理解を深めるために教職課程を履修しました。教育実習も経験して、「教育」に対しての関心はより強くなっていきました。

十文字:椎木さんはColorbathの教育系のプロジェクトを担当されていますが、その頃から教育に興味を持ち始めていたのですね。教員になろうとは思わなかったのですか?

椎木:教員になる道も考えましたが、若い時だからこそできる経験とは何か、を軸に将来を考えるようになりましたね。海外だけでなく、自分にとって身近な地元の教育についても、将来的になにかを変えられるような立場になりたいと、思うようになっている自分もいました。

十文字:しかし教員ではなく協力隊を志望することになりますが、どのような経緯があったのでしょうか。

椎木:大学2年生の時、インド農村部の英語教育支援を行う学生団体を立ち上げ、活動を行うようになりました。物理的な支援には限界があると感じたので、英語学習方法の指導や、楽しみながら学べる教材提供など、学習方法などのソフト面の支援方法を選びました。しかし学生団体の活動では、夏季休暇などの短期間でしか支援できませんでした。

インドでの活動

十文字:たしかに、学習方法を現地に根付かせるには時間がかかりそうですね。

椎木:訪問したときは現地の人も新しい学習方法を一生懸命に学んでくれるのですが、次に行った時には元々の学習方法にもどっていて。無力感を感じました。短期での支援には限界を感じたため、長期的に現地と関わりながら共に学び合い、海外の教育現場の実態をより深く知りたいと思うようになり、協力隊の道を選びました。

派遣前訓練を修了し、青年海外協力隊へ

青年海外協力隊としてマラウイへ

十文字:では、協力隊の隊員としてどんなことをしていたのでしょう?

椎木:協力隊には様々な職種があります。その中で、私は子どもの教育に関わりたいと思っていたので「青少年活動」を選びました。派遣されたアフリカ・マラウイでは、現地の小学校の情操教育(音楽や図工、体育など表現芸術科目と呼ばれるもの)を拡充するために活動しました。

十文字:なるほど、そこにはどんな課題があったのでしょう?

椎木:表現芸術科目は実技を伴う授業ですが、近年になって新しく導入された科目のため、現地の先生は自分が子どもだったときには授業として受けた経験はありません。なので、生徒を巻き込みながら、座学中心ではなく実技を取り入れながら楽しく学べる授業のつくり方をサポートする必要がありました。実際に生徒が授業で学んだ実技を披露する運動会を企画したこともあります。

マラウイでの授業

椎木:また、算数への苦手意識や数学力が著しく低いという課題もあったので、基礎算数力を強化するプロジェクトを発足させたこともありました。

十文字:2年間サポートし続けるとかなり変化がありそうですが、実際にはどうでしたか?

椎木:いや、時間は足りなかったですね。現地の人たちにとって異文化な存在である私がどこまで自分の意見を主張していいのか、なかなか掴めなくて。そんな時に、現地の人たちと家族みたいに仲良くなることから大切だって気づいたんですよね。まずは、互いに同じ人として知り合うことが大事だなって。信頼関係がないと、こちらも向こうも遠慮したり忖度したりしてしまって。

学校の先生の家族と

椎木:なので、活動以外の時間も一緒にご飯を食べたりして、一緒にいる時間をたくさんとるようにしました。この結果、お互い正直に言いあえる関係を築けましたし、様々な活動や取り組みを一緒に行うこともできましたが…それでも時間が足りなかったですね。笑

十文字:時間が足りなかったという経験が、今に活きていることはありますか?

当時、2年間の活動を終えて日本に帰国する時に、自分が何を現地に残せたのか、貢献できたのかがわからなかったので、100点満点中60点くらいだと思っていました。ただ帰国して数年経ってから、私が発足した算数のプロジェクトが今でも続いていることを知ったんです。その時に、些細な変化のきっかけや種を植えることができていたんだな〜と実感できました。

マラウイの子どもたちは算数が苦手だった

椎木:今では、その当時の反省があったからこそ、Colorbathのプロジェクトへと繋げることができているとおもいます。当時満足できなかったからこそ、今でもマラウイに関わり続けることができていますし、私を大きく成長させてくれたマラウイへの恩返しがようやくできているんじゃないかと思っています。笑

Colorbathとの出会い

十文字:では、マラウイから帰国して、どのようにしてColorbathで働くようになったのでしょうか?

椎木:マラウイから帰国した後、現地の算数プロジェクトをきっかけに知り合った方と再会したんです。そこで、吉川さんと初めて会い、NPOで働くということを知り、Colorbathの存在も知りました。また日本に帰国してから、日本人にもっとマラウイやアフリカの現状を知ってほしいと思うようにもなっていました。

十文字:なぜマラウイのことを日本にもっと知ってほしいと思ったのですか?

椎木:帰国してから、いろんな人に「アフリカで2年も暮らしていたなんてすごいね〜」と声をかけらるようになったんです。マラウイの生活を知らない人からすると、「虫食べてたの?」とか、「どんな布巻いてたの?」「黒人は怖いんでしょ?」とか、現地をよく知らないが故に、アフリカあるあるなイメージで偏見たっぷりの質問をされることもあったりして。笑

日本人には馴染みのないマラウイ

椎木:そこからですね。なんだかそういう質問に答えることが心苦しく感じるようになってしまって。私はマラウイで成長させてもらって、自分の人生にとってかけがえのない経験がたくさんできたので、マラウイの魅力もそうだし、現地のことをちゃんと知ってほしいと思うようになりました。

十文字:なるほど、それは今のColorbathの活動に通ずるものがありますね。

椎木:そうですね。ColorbathのWEB交流(現在のDOTS)は日本とマラウイをつなぐ扉になるな、と感じたと同時に、海外に対する知らないが故の偏見を崩すきっかけづくりができると思いました。

2020年度に山口県周南市で実施しているDOTS

「ヒトづくり」の原点

十文字:では、Colorbathでの仕事についてお聞きします。なぜ椎木さんは「ヒトづくり」という教育事業に力を入れているのでしょうか。

椎木:きっかけは、学生時代のフィリピンのマニラでの経験でした。たった一本の川を隔てて貧富の格差があり、十分な教育を受けられないが故に仕事に就けない現状を知りました。「貧困→教育が受けられない→職につけない→貧困」この負の循環が大きな問題だと思いました。

十文字:教育とは、学校での教育などのことでしょうか?

椎木:このときは自分も「教育=学校教育」という認識でした。しかし協力隊やColorbathでの経験を通じて、人は何歳になっても学ぶことができ、変化し続ける。それが人間であり、社会であると感じるようになりました。なので、学校教育にアプローチしながらも、そこに関わる全ての人々にとっての学びや変化のきっかけを届けることで、地域や社会自体もよりよくなっていくと信じています。

十文字:協力隊やColorbathの経験は、どのように影響していたのでしょうか?

椎木:マラウイでの生活は大きく影響しています。物がなくても豊かになれることを知って、人生観が大きく変わりました。それと、帰国後にプロジェクトを通していろんな人と関わっていく中で、人によって豊かさの捉え方が違うことも知りました。

マラウイの子どもたちは元気だった

椎木:経済的な豊かさも、精神的な豊かさもあるように。こうして私自身が様々な人と出逢い、人生や価値観の違いにふれたことによって、学校教育だけが教育じゃないと思うようになりました。

十文字:なるほど、椎木さん自身の経験から教育の広さを知ったわけですね。では、「ヒトづくり」は「きっかけ」や「一歩踏み出す」がキーワードになっていると思いますが、なぜそれらが大事だと思うのでしょうか。

椎木:帰国してから、母校の大学で講演させてもらう機会がありました。そこで、私の講演を聴いていた学生から「勇気もらった」というコメントをもらいました。その学生にとって、普段と変わらない授業を受けていたつもりだったものが、自分が経験したことのないマラウイでの活動の話を私から聴いたことによって、人生観が大きく変化した、と。この経験から、日常生活に突然降りかかってくる人との出逢いや出来事によって、刺激を受け、行動が変わることを知りました。

母校の大学で講演

椎木:私もまた誰かに刺激を与えることができて、それが誰かの人生を豊かにできるかもしれないと思いました。「きっかけ」を提供することでいろんな人の偏見のカタチを少しずつ変化させていき、その結果、人生はより豊かになっていくと思います。「ヒトづくり」ではそういう場をつくろうと思っています。

「ヒトづくり」の理想

十文字:ありがとうございます。Colorbathの「ヒトづくり」がわかってきました。最後に、「ヒトづくり」の理想を教えてください。

椎木:いろんなひとが、いろんなできごとを、「自分ごと」としてとらえる。そういう社会にできたらいいなと思いますね。他者との違いを受け止め合いながら、互いに学び合い、みんなが当事者の気持ちになれる。一方的な誹謗中傷ではなく、建設的な意見を出し合えたり、相手を理解したいと気に掛け合いながら対話ができるような。そういう、温かいつながりをつくっていきたいです。

Colorbathのヒトづくり事業については、第3回でも詳しく紹介している

椎木さんはもともと、純粋に海外と繋がることに興味を持った人でした。

高校、大学での経験を通し学校教育から豊かさに貢献しようと思い始めますが、マラウイや帰国後の経験を経て「学校だけではない教育」から豊かさを広げたいと考えているようです。

そのために、「ヒトづくり」ではより多様な世界を知るための「きっかけ」を提供するプロジェクトを実施しているとのことでした。

吉川さん、椎木さんの過去をきいていく中で、現在のColorbathの価値観の源泉が見えてきました。

次回以降は、吉川さんと椎木さんが今後のColorbathをどのように考えているのかきいていきたいと思います。 お楽しみに。