こんにちは、ライターの十文字 樹(じゅうもんじ たつき)です。
「Colorbathっていったい何をしている団体なのか?」
「何のために活動しているのか?」
そんな、私自身の疑問から始まったインタビュー企画「つむぐ、Colorbath」。
前回のインタビューでは、吉川さんがディレクターを務める「コトづくり」のプロジェクトから、吉川さんのこだわりについてお聞きしました。
今回は、そんな吉川さんが国際的な活動を目指したきっかけについて、吉川さんのこれまでの人生を対談形式でお届けします。
中高生時代の気づき
十文字:今回は吉川さんのこれまでの人生についてお聞きいたします!まず、はじめての海外経験について教えてください。
吉川:14歳の時に、ブラジルに行きました。当時はサッカーをやっていて、所属していたクラブチームがブラジルで合宿を開くことになり、それに参加しました。はじめは大会に出ることもできて、楽しくサッカーをしていましたが・・ブラジルに到着して二週間後くらいに骨折してしまい、現地の病院で検査を受けることになりました。
十文字:14歳にしてブラジルで骨折・・想像しただけでも辛いですね・・
吉川:すると骨折だけでなく、骨の中に空洞があるといったことがわかり、精密検査をして悪性の場合は癌なので治療が必要、という診断を受けました。しかも最悪の場合・・・ヒザから下を切断しないといけないって言われました。。結果的に、手術によって回復して切断せずに済みましたが、当時プロサッカー選手なりたいと思っていたので、私にとっては地獄の底に突き落とされるような経験になりました。日本に帰って来た時には、サッカーもできなくなったし、「生きていてもしょうがない」という気持ちで過ごした中学3年の夏でした。
十文字:それはかなり厳しい経験でしたね・・・その経験から、何か得られたものはありましたか?
吉川:そうですね。その時にブラジルのスラム街も見る機会がありました。自分は、自分が好きなサッカーをやるためにブラジルに行くことができましたが、本当にやりたいことができない人も、世界にはたくさんいることも知りました。こういったブラジルでの経験が、ずっと心の中にあったんだと思います。
十文字:ご自身が育ってきた環境自体が恵まれていたものだったことに気づいたのですね。
吉川:「癌があるかもしれないし、悪性の場合は色々覚悟しないといけない」と宣告されていたので、自分の人生は一回終わったような感覚もありました。でも、その後回復して元気に生きていけるとなったときに、「幸運にも生かされた人生、悔いのないように生きよう」そんな前向きな気持ちになりましたね。悔いのない生き方って何なのか。それは、世界中にいる、やりたいこともできない人のために何かしたい、ということでした。自分がやると決めたことは、楽しくやって生きていこう。そう思うようになったのが、こういった経験からでした。
十文字:中学生で死を意識するようになるのは非常に重い経験ですね。高校生になるとどう変化しましたか?
吉川:高校2年生の時に、海外ホームステイプログラムに参加しました。ブラジルの経験から、他にも海外を知りたくなったことから応募しましたが、ニュージーランドの酪農家のところでホームステイすることになりました。東京育ちだったので、新鮮なことばかりでしたね。
十文字:東京とのギャップを感じることがあったのでしょうか?
吉川:はい・・・その結果、日本の東京で生活することが幸せなのか、について考えるようにもなりました。反抗期だったこともあると思いますが。笑 便利で快適と思われている東京よりも、大自然のニュージーランドのほうが幸福に生きられるような気がしたんです。
十文字:そうなると、ますます海外へのまなざしが強くなりそうですね。
吉川:高校3年生でその後の人生を考えた時に、2つの留学経験から、もっと世界のことを知りたいと思うようになりました。そこで早稲田大学の国際教養学部に進学し、アメリカに一年間留学しました。ちなみにアメリカでもサッカー部に入りました。そこでの経験がとてもいいものでした。
十文字:アメリカの大学でサッカーですか。アメリカといえば多国籍なイメージがありますが、そこではどんな変化がありましたか?
吉川:アメリカに行く前は、あまりしゃべらず内気で、声出さないからと監督に怒られたりするくらいでしたしかし帰国後は、声の大きさとか積極性とか、友人から驚かれたりするくらいになりました。笑
十文字:アメリカでの経験は、今の吉川さんに大きく影響してそうですね。では日本に戻ってからは、どのようなキャリアを選択されたのでしょうか?
活動のきっかけを得た会社員時代
吉川:大学3年生になるタイミングで帰国して、秋から就職活動が始まりました。そんな時に、仕事もバリバリして、かつ社外でも面白い活動をされている社会人の方と出会う機会がありました。色んなお話を参考にしながら、ベネッセに就職することを決めました。
十文字:ベネッセですが。おもに通信教育や出版などの事業を行う企業ですね。なぜベネッセだったのですか?
吉川:正直、社会人としてまともに仕事ができるのか不安でした。なので、早くから仕事を任せてくれそうな会社を選びました。また就職活動で色んな人たちに出会うことができたことから、会社の枠にとらわれずに色んな人たちと関わりたいと思っていました。ベネッセの人たちの話を聞いていると、ベネッセならそんなことも実現できそうだと思いました。
十文字:就職する前から、色んな人たちと交流することを意識されていたのですね。実際に会社での仕事が始まってからは、交流することはできましたか?
吉川:そうですね。よく「100人で飲む!」みたいなイベントを実施していました。就職してから大阪配属になったので、とにかく友達を増やしたかったですね。会社に関係なく色んな人たちとコミュニケーションを取ってみたくて。様々なイベント企画を通じて成功したり失敗した経験があって、リスクを負うことも学びました。。
十文字:就職してからは、海外を意識することはなかったのですか?
吉川:最初は社会人が友達をつくる場を企画していましたが、これが海外へとつながっていったんですよ。個人的にももっと成長したいと思って、社会的な課題解決につながるような活動を始めたいなと。そこで有志の仲間たちと、大学生や高校生も巻き込んだキャリアに関するワークショップを開いたり、地域活性化のために誰でも楽しめるチャンバラに取り組むNPOの立ち上げに関わったり…。
吉川:こういう活動をしている頃に、仕事と仕事外の両立、などのテーマで講演会に呼んでもらいました。そこで、ネパールの孤児院を支援する団体の方が講演されていて。これがネパールに興味を持った瞬間です。
十文字:なんと。会社の仕事と社外活動の両立が、ネパールにつながっていったんですね・・!
ネパールとの出会いとColorbath
吉川:その時に講演されていた人に声をかけて、つながることができ、その団体の方と一緒にネパールに行ったんです。講演していた方は、学生時代からネパールで活動していて、社会人になってからも団体をつくり継続的に活動していました。具体的には、ネパールで孤児院の子どもたち向けに運動会を実施したり、教育や就労の支援をしていましたね。
吉川:そこから僕もネパールに関わるようになりましたが、もっと活動の幅を広げたいと思って。そこから、Colorbathへとつながることになります。
十文字:なるほど、そこからネパールにつながったんですね。しかし、なぜ吉川さんもネパールで活動することを決めたのですか?
吉川:この、孤児院の子どもたちを対象とした運動会を実施していた団体の現地の協力者と会いました。この人がガネッシュさんで、今でもColorbathがネパールで活動するときのパートナーです。
吉川:彼は、ストリートチルドレンとして過ごしていた時期もあり、貧しいながらもトレッキングガイドとして生計を立てていました。とても厳しい境遇の時に、日本人観光客が優しくしてくれたことから日本の良さを感じたと言います。彼はIGCという会社を運営しており、彼の情熱に心打たれたことから、僕も彼のサポートを、そしてネパールのサポートをしたいと思うようになりました。
Colorbathのこれから
十文字:様々な出会いがつながって今のColorbathになるのですね。今後もそのようにして、活動の幅が広がっていくのでしょうか?
吉川:そうですね。たしかにこれまでは、出会いによって活動が広がってきました。ただ今後は、これまでの出会いで培ってきたものを発展させることも大事にしたい。今まで蒔いてきた種がようやく芽吹いてきたと感じているので。これまでは、とにかく速く走ろうと考えてきましたが、長く遠くへ走るモードに切り替えているという状況かなと。プロジェクトに関わってくれる人も増えてきているので、大きくすることよりも息切れしないように、自分自身もColorbathとしても視野を広げていきたいと思っています。
吉川さんは、中学生の時、ブラジルに渡航して初めて貧富の格差を知りました。
そしてその時、死と向き合い、日本で暮らす自身の裕福な環境を知り、やりたいことをできない人のために自分の人生の時間を使おうと考えるに至りました。
その後も海外を経験し、自身の成長を求めて社会人になった後、つながりをもとにネパールに出会いました。
そしてガネッシュさんの情熱に心を動かされ、Colorbath設立に繋がります。
紆余曲折を経て、ネパールへの協力、Colorbathでのコトづくりに至った吉川さん。
前回お話された「実践者であり続ける」「継続させるための事業化」という2つのこだわりは、ブラジルを知り、会社以外での様々な活動を経験してきた末にネパールにたどり着いたことが背景にあるのだと思います。
次回は、椎木さんのこれまでの人生をきいていきます。青年海外協力隊での経験がどのようにColorbathでの教育への情熱に繋がっていくのでしょうか。